第68回九州ギターコンクールを終えて PART 3
この8ヶ月間、色んな場所でコンクールで弾く曲を演奏させて頂きました。
そして沢山失敗をしました。やはり人前で演奏すると緊張して上がってしまい。なんて事ない所でミスをする。指が回らなくなる。指が言う事を聞かなくなる。ド忘れする。右手が違う弦を弾く。左手の指の押さえがあまい。練習とは違う音を発音してしまう。
私は演奏を録画して、ミスした所を分析して、ミスした所を何度も何度も繰り返し練習しました。
それでもやはり人前に立つと緊張する。
「俺ってやはり才能無いな」と何度も思いました。
「このままでは二次予選で敗退する。それは嫌だ」と何度も思いました。
岩崎 慎一先生のレッスンが終わり、8月3日の夜に博多駅に新幹線で向かいました。
新幹線の中では2時間半、ずっとイメージトレーニングをしていました。
記憶が曖昧な所は楽譜を取り出して、もう一度目を瞑り、何度も何度もイメージトレーニングをしました。
2時間半、ずっとイメージトレーニングしたので、気付いたら博多駅に到着しました。
博多駅では私が尊敬するギタリスト・橋口武史さんが改札で待っていて下さいました。
実は橋口さんは、私が第55回九州ギターコンクールで敗北した時に、私を会場まで迎えに来て下さり、一緒に朝まで呑んで下さいました。
今回も橋口さんだけには「九州ギターコンクールを受けます」とお伝えした所、「うちに泊まりなよ」と仰って下さいました。
橋口さんと久しぶりにお会いし、橋口さんのお宅にお邪魔し、橋口さんの前でコンクールで弾く曲を弾きました。
橋口さんは黙って聴いて下さいました。
橋口さんは「明日、会場まで送るから頑張って演奏してね」と仰って下さいました。
私にとって橋口武史さんは先輩であり、人として又ギタリストとして、とても尊敬しております。
コンクール前日という事もあり、弦を新しい弦に交換して、私は眠りにつきました。
翌朝、橋口さんに起こして頂き、西南学院まで送って頂きました。西南学院が今回の九州ギターコンクールの会場です。
私は受付を済ませて控え室に入りました。
チューニングを済まし、暫くすると、ギタリストの溝口伸一さんが来られました。
彼とは第48回九州ギターコンクールで一緒になり、2人共第3位を受賞した仲です。
今回、溝口さんは裏方をされていました。
「西尾さん、頑張って下さいね」とお声がけをして下さいました。
暫くして私の名前が呼ばれて、舞台袖に行きました。
舞台袖にはフォレストヒルの森岡社長、奥様の恵子さんがおられました。
「西尾君!久しぶり!頑張ってね」と言われました。
そしていよいよ私の名前がアナウンスされ、私は二次予選の舞台に立ちました。
舞台袖からドアが開き、椅子の真横でお辞儀をして前を向くと、客席は暗く、殆ど客席が見えませんでした。
私は椅子に着席をし、念入りにチューニングをしました。
師匠である岩崎 慎一先生に「演奏直前、必ず1回で良いから深呼吸をしてからギターを構えて、弾くテンポを決めてから演奏を始めるように」と言われた事を思い出し、実行しました。
二次予選、一曲目はM.ジュリアーニ作曲のセンティメンターレ。兎に角、出だしがsotto voce (ひそひそと)なので慎重に弾き始めました。楽譜に書いてあるフォルテやピアノの指示は体に叩き込んだので、大丈夫でした。岩崎 慎一先生に教えて頂いた事を思い出しながら全力で弾きました。
緊張はしていましたが、目立ったミスもなく、私は最後まで全力で弾き切りました。
「よーし!上手くいったぞ」
私は手ごたえを感じました。
そして二次予選の自由曲L.ブローウェル作曲の「パスクィーニのトッカータ」
これこそが出だしが1番重要な事は私は100も承知でした。
出だし、覚悟を決めて弾き始めました。ミスしませんでした。勢いよく飛び出し、そのまま突っ走って演奏しました。「よーし!行けるぞ!」と私は思いました。
この曲は第48回九州ギターコンクールの二次予選でも弾いた曲ですので私の魂の曲でもあります。
2〜3回、小さなミス(左手の押さえのあまさ)はありましたが、最後まで大きなミスもなく、最後のバルトークピチカートから和音のラスゲアドも決まりました。
演奏が終わった瞬間、私は心の中でガッツポーズをしました。
この8ヶ月間の中で1番良い演奏が出来た!いや、人生の中でこれほど上手く弾けた演奏は今までにない。必ず二次予選は通過し、本選に残れたと思いました。
自分は最後の最後で自分の力を120%出し切れた。悔いはない、必ず本選に行けると思いました。
お辞儀をして上手に捌けると、そこにはギタリスト・三良裕亮さんがおられました。
私は感情を爆発させ、彼に抱き付きました。
控え室に戻り、私はタバコを吸いに、一度会場を出ました。
「上手くいった。この演奏なら必ず本選に残ったはずだ」
私はタバコを吸い終わり、控え室に戻り、本選の曲を練習し始めました。
暫くすると、係の人が「今から本選出場者の発表を張り出します」と言われ、私は見に行きました。
そして本選出場者の名前が張り出されました。
「あれ?俺の名前がない」
何度見ても私の名前はありませんでした。おかしい!あの演奏で落ちるハズがない!と私は思いました。
しかし、私の名前は無く、私は茫然自失となりました。
名前が無い以上、本選で弾く事は出来ません。
私は後片付けをして会場を後にしました。帰り際に審査員の先生方から講評を頂きました⬇️
会場から出ると、私ともう一人、二次予選で敗退した人がいました。
彼と少しだけ話をさせていただきました。
お互い頑張ろう、と言ってお別れしました。
こうして、私の8ヶ月間に及ぶ挑戦は二次予選敗退という結果に終わりました。
PART4に続きます。
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